TsubasaShinya.Tokyo~鍼灸を身近に感じるメディア~

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(第1話)新屋翼はなぜ鍼灸師になったのか【中学~高校時代編】

異業種の方に良く聞かれるシリーズ。

患者さんからも良く聞かれるかなと。

 

だいたい一般的な鍼灸師はこうだ。

 

 

「自分が学生の時にした怪我が、病院では全然よくならなかったけど鍼灸を受けたら驚くほどよくなって感動したので自分も鍼灸師になろうと思った。」

 

 

 

「自分の仕事にやりがいを見出せずにいた時に、ストレスで体調を崩した。いろんな病院で様々な治療を受けたがいまいち効果を感じられない。そんな状況を救ってくれた鍼灸と鍼灸師という職業に心を奪われ、自分もこんな人になりたい、こんなやりがいのある仕事をやりたいと思った。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラマである。

挫折のさなか差し込んだ一筋の光的な。

 

では新屋はどうかというと

 

そんなことまるでない。鍼灸学校に行くまで鍼受けた事もない。

 

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なぜ新屋は鍼灸師になったのか

 

なんでなんでしょう。

ものすごく端折って言えばこうです。

 

一番変わってる仕事だったから。

 

そうなんです。僕自身変わってるので当然の選択とも言えます。

 

でも、なろうと思ったのは意外と早くて、なんと高校一年の春。

 

鍼灸との出会い感動的エピソードもないのに高校入学したてで決めた職業。

正気の沙汰じゃない。

 

きっかけは進路相談(しばらく感じ悪いですが当時の感情を忠実に表現しているだけです)

行ってた高校はいわゆる進学校だった。生徒の3分の1は国公立大学に行く。

高校に入るまで勉強で躓いたことが無く「わからない」というのがよくわからなかった。敗北を知りたかった。

そう。完全に調子に乗っていたのである。

 

僕は三兄弟の末っ子で、決して裕福とは言えない一般的な家庭で育った。

別にやりたいこともなく、なんとなく入れる高校に入った。

スポーツが好きだったので体育教師にでもなるか、なんて漠然と思っていた。

 

そして入学した高校は進学校。入学して何日も経たないうちに入学テストなるものがあった。その範囲は驚きの「入学説明会で渡された宿題から」の出題。

まだ入学もしてないのに宿題出してくるんすよ。何様。

 

もともと中学までは塾に通うでもなく授業で全て理解できたので、宿題というものをほとんどしなかった。怒られてたけど。なのでテストはいいが評定は万年オール4たまに5くらい。

典型的一番ウザいタイプの生徒ですね。

 

例のごとく調子にのっている真っ最中なので、そんな宿題には目もくれず「いけるっしょ」とばかりテストを迎えた。

結果320人くらいいた生徒の中で

 

見事300位

 

敗北を知った。また、同じような奴が20人くらいはいることがわかった。

全く中学では見たことないような問題ばかりだった。アメージング。

 

しかしながら、不思議と「悔しい!」とか「次こそは!」なんてまったく思わず、

「知らなかっただけで自分より凄い奴がこんなにいっぱいいるんだなあ」と感じ「同じ『勉強』の土俵では努力する300人の方が自分より上なんだろうな」とも悟った。(勉強に関して努力するつもりがなかったのだ)

 

そして迎えた最初の進路相談。

テストの結果をもとに、なんと入学一週間で「どこの大学目指すのか」を決めるのである。(もちろんあくまで目標)

 

まっっっったくそんなこと頭になかったので、担任に聞かれた時になんにも答えられなかった。

 

「また月末にもっかい面談やから、その時までに考えとけよ~」

そう言われ、新屋の進路探しがはじまった。

ぶあつい大学の学部一覧を見ていた。

とりあえず、と探した体育学部は私立ばかり。

 

親から出された条件は

・私立⇒NG

・下宿⇒NG

・下宿国公立⇒審議

 

とんでもないクライアント様である。

通える範囲の国公立といえばですね。もう全然行きたいような学部がないわけです。

 

それでも、ととりあえず行きたい大学から探してみた。

学部の一覧を眺めていると、目に飛び込んで心をつかんだものがあった。

「スポーツ医学」というジャンル。

これは・・・!と思いスポーツ医学の学べるところを探し、魅力的な候補を挙げてみたところ!なんと全て!

・私立大学

・関東

役満でした。一応親に相談してみるも3秒でNG。

 

いよいよもって行きたい大学がなくなってしまった。

 

意気消沈しながら担任に話してみたら、

「専門学校とかもあるんちゃうか?まあでもとりあえず大学目指して勉強しろ」

後半部分は何て言ってるのかよくわからなかったが専門学校!というブレイクスルーが起きた。

 

「大学進学しない」という選択肢がほぼ無いような環境で専門学校を提案してくれた担任の懐の深さは10年越しにわかった。

 

専門学校でスポーツに関わる学科はたくさんあった。大学の時とは打って変わって資料を見るのが楽しいくらいだった。

 

担任のすすめで、スポーツだけでなく治療することのできる資格も合わせて取る方がいいとなり、医療資格を探した。

 

ここでやっときました。

 

見た中で一番変わってた資格が「鍼灸師」だったのである

 

どーせなら誰もやったことのないことがいい。という理由だけだった。自分の知る限りではいなかったし、その高校卒の鍼灸師もたぶんいないとのことだったので。

 

そこからは早かった。名古屋に「アスレティックトレーナー」と「鍼灸」が同時に学べる学校があり、そこに入学することにしようかなーと思っていた矢先。

 

母親が脳梗塞に

夏前だった。突然のことでわけがわからなかった。

多感な時期ながら、後から考えるとこのことも「治療者」になることを決意するきっかけになったんだと思う。母の遺した意志を胸に…。(死んでない)

 

たまたま家にいた兄のおかげで一命をとりとめた母。

命に別状はないが後遺症は残ると。

大卒後家具屋で働いてた姉もSTの資格を取り医療の道に進んだ。

 

多感な時期に家庭が大変なことになったので新屋家的には大ピンチだったのだが、専門学校に進学することが決まった僕は勉強しなくていいのをいいことに自由な学生ライフを満喫することにした。(今思ってもクズですね)

 

勉強こそしなかったが、部活や学校行事には積極的に参加して、最終的にはなぜか友人を巻き込み生徒会に入っていた。

よりにもよって模範的な生徒の象徴ともいえる生徒会にである。

 

のちにこれは「生徒会乗っ取り事件」と言われ、このことを大変危惧していた当時の学年主任の意向もあり数年後規制が入ったそうだ。

「変な奴を生徒会に入れるな」と。

 

生徒会を牛耳り妙な発言力を持ってしまった僕たちは、たくさんの余計なイノベーションを巻き起こし、その流れ(変な奴が生徒会を結成する)は三代も続いてしまった。

伝統校の破滅への序曲である。

 

きっと当時の先生たちにはいい迷惑だったろうな。と思って数年前会った時に謝ったら

「新屋の口からそんなことが聞けるのが教員の醍醐味やなあ」と言ってもらい感動。

 

世の中わからないもんですね。(おまえがいうな)

 

一応生物と現代文だけ謎の高偏差値を保っていた僕は、やはり鍼灸師が向いていたっぽいと振り返って思う。

 

次回、専門学校入学~鍼灸下積み時代編! 絶対見てくれよな!

 

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