TsubasaShinya.Tokyo~鍼灸を身近に感じるメディア~

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鍼灸が「医療」に認定。鍼灸、漢方の地位向上も?

今朝のYahoo!ニュースにこんな記事が。

具体的には何かっつーと

国際的に統一した基準で定められた疾病分類である「国際疾病分類」(ICD)に、伝統的な東洋医学の章が追加される。100年以上、西洋医学一辺倒だった世界の医療基準の転換点となるとともに、中国と異なり独自に発展してきた日本の伝統医療の再評価につながる。

 ということだそうな。

このWHO(世界保健機関)の医療統計は西洋医学のデータしかない為、東洋医学や伝統医学中心のアジア圏諸国ではほぼ有効な統計が取れていない現状。

その情報格差を埋めるべく「伝統医療」の項目を追加する流れになったそうな。

 

ICDの作成にも携わった千葉大の並木隆雄診療教授(和漢診療学)は、「WHOに公式に認められれば、日本の伝統医療の地位向上に役立つ。科学的な調査のもと、漢方の有効性も検討でき、成果は国民に大きく還元される」と話した。

現状日本において鍼灸は「医療」のジャンルに属してはいるものの、明確に西洋医学と肩を並べた医学としての認識はあまり持たれていない。

これが世界の中枢機関に認められ、検証が進めばそうした存在になれる可能性はあるのか?と。

 

ここで、せっかくなので超ざっくり鍼灸の起源について触れてみる。

 

鍼灸の起源とは

 

「中国4000年の歴史!」という言葉があるように、3000年以上の歴史があるとも言われる鍼灸の起源にも諸説ある。

現在見つかっている記録によれば、お灸の方が先に体系化されたんじゃ?って感じ。

「現存する最古の医学書」の足臂十一脈灸経という本。お灸による治療理論の記載がある本だそうで、紀元前200年頃に埋葬された人のお墓に入っていたもの。実はこれは写本で、原本は紀元前700年くらいのものだとか。

少なくともこの頃にはお灸は理論体系を持って行われていたという。

 

また、同じ紀元前200年頃にできたとされる「黄帝内経」と呼ばれる医学書。

こちらは打って変わって鍼についての記述が多い。

しかもこの黄帝内経がすごいのは、

今日に伝わる中国伝統医学はこの時代にして既に完成した

と言っていいほどの完成度なんだそうで。(他人事)

その内容は当時の医学の常識では考えられないほど精密な解剖図があったり、医学だけにとどまらず易学、天候学、星座学、気学、薬学、運命学なども体系化されていて。

 

昔の中国人ってもうホントすごい。西洋の100年くらい先を行く事例がホイホイある。

 

と思っていたら。

ニュースを賑わせた「アイスマン」の登場によりひっくり返るいろいろ。

アイスマンは1991年にイタリア・オーストリア国境付近にあるアルプスの氷河から奇跡的な保存状態で発見されたミイラの呼称であり、5300年前の人体、着衣、道具類が氷漬けになって保存されていたため、有史以前の暮らしを知る鍵が詰まった超一級の文化遺産とされており、それを解凍して脳、内臓、骨、血管などのサンプルを採取することによって当時の暮らしぶりや文化、風習などを探るプロジェクトが実施された。

そのアイスマンには身体の状態から腰が悪かったと推察され、東洋医学でいうところの腰痛に関連する「経絡・経穴」いわゆる「ツボ」と一致する部位に治療目的の可能性がある刺青が多数みられたんだと。

もしそれが系統だった治療の痕跡だとするならば、東洋の鍼灸の歴史記録の実に2000年近く前にまともな文明のろくになかったとされる欧米で鍼による治療が行われていたんじゃないかという仮説が突如出現。

Iceman photoscan

アイスマンの写真はこちらで見れる。

 

まあとにかくだ。

鍼や灸による治療というのは数千年前から当たり前に行われていたということ。

それがそんなに形を変えず現代にも引き継がれているということが凄い。

 

日本における鍼灸

 

日本においては遣唐使、遣隋使の時代。奈良時代(紀元後700年頃)に書物と一緒にやってきたとされる。

しかし、日本書紀などにも鍼灸の記述が見られたり、民間レベルではもっと古くより日本に入ってきていたそう。

 

当時は制度から何から中国のやり方を模倣していたのだが、そこは日本人。

カリスマ杉山和一(鍼灸師しか知らない)の出現により現在の「日本鍼灸」と称される技術が確立された。

日本人のお家芸の「小型化改良」を鍼でもやってのけたのだ。

 

中国鍼はボールペンの芯ほどの太さの鍼をブスブス刺す。

当然痛い。中国では

 

 

「痛くないと鍼じゃない」

 
 

 

 

 

 

くらいのノリだ。

しかしこの杉山氏は 

 

「いや痛くない方がいいっしょ、どう考えても」

 

 

 

 

 

 

とマジレス。

その後「たわんでしまって刺すことの難しい細い鍼を『ガイドとなる管』を用いて刺す技法=管鍼法」を編み出したのだ。

これが現代まで続く日本の「痛くない鍼」の礎となった。

そして驚くことに、この杉山さんは盲人。幼少期の病で失明したそう。

ある日歩いてて石に躓いて転んだ時に何かが体に刺さった。確認してみると、竹の筒に入った松葉だった。

そう、これが管鍼法誕生の瞬間である

なんだこのエピソード。笑

その後江戸で治療所が大繁盛。時の将軍徳川綱吉を治療した際の逸話がこちら。

本所一つ目
杉山和一の献身的な施術に感心した徳川綱吉から「和一の欲しい物は何か」と問われた時、「一つでよいから目が欲しい」と答え、その代わりに同地(本所一つ目)の方1町(約12,000平方メートル)を拝領し、同地屋敷内に江ノ島弁財天の分霊を勧請した弁財天社が祀られた。 慶応2年(1866年)には和一が修行した江の島岩屋を模した岩窟も造られている。 戦後、杉山自身を祀る末社との合祀が行われ、同地に江島杉山神社として現存する。 

 その後「鍼灸を視覚障碍者の生きる道に」と全国40箇所以上に鍼術教授所を設立し、当時のヨーロッパの100年先を行く質の高い盲人教育と労働環境の整備というイノベーションをやってのけ、幕府により「将軍家御医師」と盲人最高位の「検校」という地位を与えられた。

神社に祀られる鍼灸師。「会いに行ける鍼灸師」を地で行く存在だ。

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ふう。なんだかここまで書いて相当満足したな。

その後明治時代に西洋かぶれの政府に弾圧されたり戦後GHQに嫌がらせされて鍼灸の今があるかんじだ。(雑)

 

でも、5000年とか前からやられてて、今もあるってすごくね?って話。

そんな時代なんて、まだウホウホ言いながら狩りとかしてたわけじゃないすか。(雑)

そこからスマホだAIだなんだとか言ってるこの時代にもおんなじようなことしてるわけ。

 

なんなら、この科学の全盛の時代に

世界的な機関が鍼灸に注目し、評価しているわけだ。

それってすごくね?って話。

 

最近の流れからすれば今後鍼灸はもっと脚光を浴びると思うし、ポジティブな要素も多い。株で言えば「買い」な銘柄だ。

もっと需要も増え、鍼灸の良さが広がり、もっと気軽に多様に受けられるようになり、楽になる人が増え、鍼灸師の地位が上がる。

 

そんな未来を目指して。