息継ぎ。
人はみんなコンテンツを持ってる。
けどコンテンツホルダーとは言えない。
その違いは「アウトプット」これに尽きる。
僕は中学三年の冬に、住んでいた三重県四日市市から鹿児島まで自転車で行ったことがある。7日間かけて。
こないだ2年一緒に働いているスタッフに話の流れでポロっとその話をしたら、えらい驚いてくれて。「そんな凄いこともっと自慢します!私なら!!今までそんな話ひとことも出なかったじゃないですか!」と。
自分の中ではこの話はそういうジャンルに入っていなかったので「え、ああ、そう?ホント?そんなに?」という感じだった。
実のところ、僕はそんなこと全く凄くなく誰でもできると思っていて。
だって自転車は漕げば進むし毎日進めばいつか必ず着く。誰でも乗れるし道はあるし。
別にみんなあえてそれをやろうとしないだけで。
この記事でも触れたように、僕は「人がやってないことをやりたい」だけで、当時周りにそんなことをやっている奴がいなかったからやった。モロ受験シーズンだし余計に。
別にスーパー中学生でもなかったしスタミナなんてむしろない方。夏の部活のシャトルランの方がしんどかったと思う。実際鹿児島までの道中は「シャトルランの方がしんどい」という気持ちが僕を支えた。
ので、理論上は「シャトルランできる奴は鹿児島にいける」くらいに思っているので、あとはやるかやらないかだけの話。
三重~鹿児島の旅で得たもの
「忍耐」だとか「困難を乗り越える力」だとかそんなものは全然得ていない。
だってシャトルランの方がしんどかったし。
鹿児島に向かう道中、車から「がんばれよー!」と応援してくれた人がいたと思えば、しばらく進んだコンビニで待っててくれていて、差し入れを買って渡してくれたり。道の駅でBBQに混ぜてくれたり。大分で出会ったおじさんがわざわざ次の朝の出発の時におにぎりを握ってきてくれたりした。5時に。
いわば「会ったこともない」にカウントされるような道行く人にそんなことができますか?僕だったらできない。でもできる人がいた。それもたくさん。
月並みですが、人って温かいなと思った。自分は支えられて生かされていると身をもって実感した。
数年後、そのおにぎりをくれたおじさんの訃報を聞いた。
そのおじさんが実は当時ものすごく大変な状況で、僕が会ってからほどなくして自ら命を絶っていたということを人伝いに聞いた。
人にはそれぞれ背景があって、大変な思いを抱えながら、それでも人にやさしくする。いや、だからこそかもしれない。
得たものといえばそんなことを理解したこと。
あとは「火山灰たいへんだな」「砂蒸し風呂すげえ」そんなところ。
でもこれを中3で感じられたのはたしかに大きいなとは思う。
僕を支えるもの
「できるけどやらないこと」をやるだけで確かに差別化につながる。
経営でもそうだと思う。
思考より試行を増やす方が確実にうまくいくし進むスピードも格段にあがる。
やらない理由がなかったからこのブログも立ち上げた。
別に日記に書いとけばいいようなことでも、もしかしたら誰かの何かのきっかけになるかもしれない。毎日コツコツ記事を書くことで、このページは少しずつ確実に資産になっていくしアウトプットをすることへのハードルは日に日に下がっていく。
自分の「人生」や「鍼灸師として思うこと」という”コンテンツ”を、形にして世に出してこそ、またそれが価値ある体験に基づいたことであることでこそ”コンテンツホルダー”だと言えるし、それがきっと業界への認知や理解が深まることへ繋がるかもしれないが、
僕はそんなたいそうなことはまったく考えてなく好き勝手なことをえらそうに書くだけ
なので、僕より凄い知識や技術、経験をお持ちの方はどんどんコンテンツを作って発信したら良いと思う。
外に出さなきゃ無価値と一緒になっちゃう。
人に歴史あり。
「まんが世界の偉人」もおもしろいのは人間ドラマあってこそだし。
患者さんに「南水」という梨をいただいた。
いまもたくさんの人に支えてもらってなんとか生きてます。