論語ってすごいよなあ。
仕事や生き方、人間関係などについてだいたいのことの解とも言えるような質の高い考え方が記されている。
それも2000年以上も前の時代に出来上がってると考えたらなおのことやばい。
孔子やばい。キングオブ年長者。ホントにいたのかな。
タイトルのは
「できる奴はだいたいのことの責任や原因を自分に求めるけど、できない奴はまあ人のせいにしがち」
みたいな意味合い。
まあそりゃそうだなって話なんだけど、この言葉のもう少し奥の本質は
「すぐ終わっちゃう思考、ダメ絶対」
ってことだと思ってて。
例えば...
【友達と遊ぶ約束してたけど、相手が忘れてて当日こなかった】というケースの場合。
小人思考だと
「いやどう考えても忘れるのが悪い」の一言で終っちゃう。
いやもちろんそうなんだけど、それだけに結果回りまわって自分で自分の生活をコントロールできなくなるよね、と。相手の性質に依存するって感じで。
君子思考だと
「そもそも約束した時わかりにくかったかもな」
⇒あの子が忘れっぽいってこと知ってたんだから最初の段階で忘れないような準備すればよかったな
⇒じゃあ今回その子といっしょに「忘れない方法」を考えてみよう
「昨日確認のメールしといてあげればよかったな」
⇒そもそもそういう考え方の深いとこまで普段から自然にコミュニケーション取って理解しあえる関係になれたらいいな
⇒じゃあ次は相手ともっと素になって語り合えるようなプラン考えてみよう
「予定なくなっても大丈夫なように別のプランも考えておけばよかったな」
⇒トラブルや急用で無理になることは誰にでもあるから、自分だけで完結できる代案を用意しておけばもし相手に非があっても寛容になれるよな
⇒どう転んでも楽しめるような想定しておこう
といったような具合に、掘り下げて考えていくことこそが人生の質を上げる上で重要なんじゃないかなというメッセージだと新屋は捉えています。
相手の性質に依存するのではなく、関係性に由来するイメージにしていく。
その上で、どんなパターンになっても自分でいくらでもデザインできるようにしておいたり、プラスに考えられるように構えておく。
「思考停止状態」になるのはなるべく避けたい。
「わからない」なら「どうしたらわかるようになるか?」までセットにすればいい。
世の中の大半が「相手が悪い」と思い合って思考停止するとやばい。絶対なんにも解決しない。
叩き合ってなんの生産性もない世の中の出来上がり。(どっかで見たような)
みんながたいていのことを自分でなんとかできる解決力があり、そのマインドで相手に向き合っていけたら絶対いい世の中になると思うんだよなあ。
つまり孔子すげえ。
みんな論語よめよ。だいたい解決するから。