こんな投稿を目にした。
【ご報告】
— Lily代表 柳本 剛 (@BiyokaYanagi) 2017年11月8日
Lily3周年に伴い僕の料金を一新します。
カット
54000円
縮毛矯正
108000円
カラー&髪質改善
54000円
1日3名限定メニュー
162000円
こちらが僕の新料金となります。
詳しくはブログに書いていますので、ご一読下されば幸いです。https://t.co/52P0TfBrKI
失礼ながら業界にまったく詳しくないのでこの方は存じ上げないが、「カット料金54,000円」と聞いてまあ意図はなんとなくわかる。一応経営かじってる身なので。
でも、世の中(といっても一部だけど)の反応はどうもそうではないようで。
いわゆるクソリプが集まっている。
気になる方は上のツイートクリックして見てみてね。
経営者の仕事や美容師の仕事をはき違えているコメントが目立ち、絵に描いたような炎上だ。
そのクソリプを当人がクソリプとしっかり表現して煽ってるので更に。笑
論点がそもそもズレてるので到底話になるはずもなく。
カット54,000円の意図
こっからは本人に聞いたことでもないので僕の私感。
まず商売をやるにあたり、原則値付けは売る側の自由。
というか法的には協定して値段決めたらいけないわけなので商品の価値と需要で適正価格を決める。
この時点でスタンスが大きく二つに分かれる。
・客側の理想を追う
・売る側の理想を追う
あとは市場の平均に合わせるとかいう思考停止な値付けの仕方もある。
客側としては「安ければ安い方がいい」と思うのが心情。
ここがたぶん経営のこと考えたことがあるかどうかの大きな分かれ目かなと。
シンプルに言う。
あなたのパートナーの仕事、両親の仕事、友人や兄弟の仕事も「安ければ安い方がいい」?
単価を下げるということは「消費者」にとっては一見いいかもしれない。
でもなぜ自分は提供者ではないという前提なのか。どんな仕事も回りまわってるので、誰しも消費者であり提供者なんだけど。
形のないものを提供するのでわかりにくいんだろうなあ。
結果的には、美容業界だけで言っても、不動産やら美容商材屋やら広告代理店やら印刷会社やら運送屋やら化学製品屋やら刀鍛冶やらアパレルやらカメラ屋やらスタジオやらいろいろ絡んでるけど、その全てに安売りを求めることになる。
カット1,000円。3,000円。5,000円。それは誰にとっての普通なのか。
あるコメントに「サービスは人のために尽くすもの」「納得してくれる人だけこればよい。それはサービス業ではない」というものがあったが、経営者にとっての「人」は顧客もそうだけどスタッフやその家族も含まれるんだよね。
高価なサービスがなぜ人の為にならないと言い切れるのか。
自分の届けたい人に、届けたい価値を、ちゃんと喜んでくれる人に届けることがサービスだ。
また「顧客に対して不誠実」という論調も目立つけどそれは顧客が決めることであって、本気で自分の提供するものが54,000円の価値があると思ってれば不誠実でもなんでもなく。もしその価値がないとみなされたら市場経済によって淘汰されるわけで。
要は「料金なんていくらでもいいよ」という人を顧客としてターゲットにしてるだけの話。これがいわゆる売る側の理想を追った値付け。そういう人に来て欲しいという意思表示だ。
コンビニのかじりっこと銀座で食う寿司は同じ値段の方がいいの?全寿司=100円は本当に豊かな世界か?
プラダの服がユニクロで2,980円で買えたとして、それは果たして価値があるの?
高価なものを手に入れる、珍しい体験をする喜びが誰にもないのならこの話は成立しないけど。
そもそも論で言えばたぶん柳本氏はぶっちゃけ値段なんていくらでもいいんじゃないのかなと。わかっててつけてるだろうから。
「美容業界の革命だ!」
「業界イメージが悪くなる!」
とかの声があるけどどちらもズレてて、別に「美容業界を代表してやります!」とかって話じゃないんだからひらたく言えば他所にはまったく関係ない話。よくも悪くも影響しない。断言する。
ただ、一石を投じて前例をつくったということで業界が変わるきっかけにはなるかもしれない。
SNSでの立ち位置
Twitterでクソリプを飛ばしてくるアカウントに対し柳本氏は「キッズたちのクソリプ」と表現し気にしてないし相手にしないという旨の投稿をしたため、より荒れた。
それに対し「サービス業なら消費者かもしれない人間の言葉を『クソリプ』と表現するのは間違っている」という指摘が。
一見正論っぽいが、論点ずらして殴り合ってる水掛け論である。
まあ氏の言葉が軽率で余計な一言であったことは間違いないが、仕事アカウントとはいえ個人のものなので素直な感情で発言したりリツイートするのは自由。公人じゃないし。
知らない奴にあーだこーだ敵意を向けられて気分を害さない訳がないし、芸能人でもないのでスルースキルがあるわけもない。他人からみても腹の立つコメントばかりなんだから。
炎上でよく見る「社会人なんだから」という論調の人は、そもそもまったくの他人に自分は関係ないのに偉そうに講釈垂れるのは社会人として礼節をわきまえた言動なの、と思う。放たれた言葉には責任がある。たとえ匿名であってもだ。
オフィシャルな告知は当然実店舗で直接顧客にするだろうし。
顧客でない人間からのクレームはただの筋違いな言いがかりとしか感じられないだろう。「顧客を選ぶ」スタンスだろうからなおさら。
「信者ビジネスだ」というコメントも多く見られたが、多かれ少なかれビジネスは全てそうだろ。
なぜほとんどの人間がapple社のiPhone使ってるのか考えたことあるのか。
信用とお金はセットだ。「それっぽいもの」に大衆はお金を払う。
こういうのを叩く人は対象がどんなであれ粗を探して叩くので仕方ないが、今回は周りの美容師の方の立ち回り含め燃料が多かった感じ。
叩いてるのも美容学生とかが目立ったので余計感情的なぶつかり合いになったのかなと。
高単価を打ち出すことのメリット
感情的になったので話を戻すと。
グループの代表が54,000円という価格で技術を提供する。
それによりどんなことが起こるだろう?
なにもいきなりその価格になった訳ではないようで、顧客が多くなったタイミングで当時から「高い」「ありえない」と言われていた10,000円という価格に値上げし、またいっぱいになって20,000円にし、またいっぱいになり・・・といった具合に価格が変遷してきているとのこと。
おそらく、値上げの度にある程度は失客したであろう。しかし離れない顧客もまたいて、さらに値上げ後の新しい顧客というのも現れて。その繰り返しで、「それでも集客できる」という自信のもとについた価格だと思う。
値上げの経験があればわかることだが、上げる側は500円値上げするだけでも胃がキリキリするような思いだ。
それでも、物ではなく技術やサービスを時間にのせて売る仕事においては単価を上げなければ利益は上がらない。(どの程度まで上げるかは経営判断)
ここでも二つの道に分かれる。
・提供するものの質や付加価値をとことん高めてどんどん価格にのせていく
・質は高めるが別で収入を得て安定させ、提供する価格は据え置く
高級ブランド路線か多角化路線かという感じ。
柳本氏の場合は少し違い、
・安定した経営地盤ができているので、提供するものの質や付加価値をとことん高めて価格も恐れずにどんどん上げられる
といったところじゃないかなと。
結果として、自分の顧客が値上げによって離れてもそれを拾う受け皿(他のスタッフ)があり還元でき、残る顧客とはより相思相愛に。
また、外から見れば店の代表のカットが54,000円なので、店長クラスのカットが25,000円、スタイリストのカットが10,000円でも相対的にはおかしくはない。
結果的に自店のスタッフのポジションを引き上げる形になる。
なおかつ稼働を減らしても売り上げを維持できるので、新たな仕事を作ったりできる。
もちろん稼働を減らさずに売り上げを高めることもできる。新たな仕事で新たな価値を生んだり、増えた売り上げで設備投資やサービス向上することもできる。
もちろん、薄利多売路線も立派な戦略のひとつなのでそれはそれで当然いい。
そもそも資本力がないと薄利多売を維持するのも難しいけどね。
一人でやっててはなかなかそういう攻めた価格設定はできないので、そういう組織を作ったからこそできることかなと。
自分がコケても組織は崩れない。だからこそチャレンジができるってもんで。
何を求めてどんな絵を描くのか。それによってトップのやることは変わる。
誰かが書いていた。
「5万円はたしかに高いけど、それでも切ってもらって満足して、また切ってもらうために頑張って仕事して、給料も増えてってなったらいいことづくめじゃ?」
とか
なんや、なんや。わい、この前50000円の茶碗こうたで。1000円の茶碗でも、50000円の茶碗でも大して、米の味は変わらんで。でもそれ以上に、食卓は美しくなったんや。全てが美味くなったんや。54000のカット?全てが美しくなるんやないか?髪も心も。最高や。
— 俺の名はMだ (@orenonaha_mf) 2017年11月10日
こんな考え方ができるのは素敵だなあと。砂漠に咲く花のような。
何より、自分がなにされたわけでもないし別にこの人が犯罪を犯したわけでもないのに親の仇のように叩きたくなるメンタリティや社会性に対して「病んでるなあ」と思う。
鍼灸はその辺の現代の闇にもっと介入していけたらいいなあ。